こんにちは、あきです。
今年は祖母の新盆にあたる事もあり、7月に実家帰省しました。
その時にとうとう我が家でも“家”の話が出てきたので、
今の自分の思考整理も兼ねて書いてみようと思います。
目次
実家帰省したら“家”話が出てきた
実家には定期的に帰省していますが、他の兄弟に逢うタイミングはなかなか無いので、
このお盆という行事は家族を集結させるには十分な予定です(笑)
逢って話ができる時間は短いけど、
やっぱり兄弟・家族で話せるのはホント“素”の自分で話せるから、
本当に気が楽です😉
ただ今回は、親から家の話が出てきて、『とうとうきた!!』と身構えつつ、親の話を聞きました。
結論としては、親の思う『家と土地』に対する考え方と私自身の考えが全く違っていました(笑)
親:次へつなぐもの
私:住みたい所に住めばいい
簡単に言うと、この位違うから、話がずーっと平行線(笑)
正直、親の考えを理解するのに本当に時間が掛かりました。
親にとっての「家と土地」
親と話していて、改めて感じたことがあります。
私の親にとって、家や土地というのは『守り、次の世代へつないでいくもの』でした。
先祖から受け継いできたものだから、簡単に手放すものではない。
子どもが継いでくれたら安心する。
土地があること自体が、一種の“心のより所”になってる
——こんな感覚が、言葉のはしばしから伝わってきました。
親の世代からすれば、それはごく自然な、当たり前の価値観なのだと思います。
※ 決して、親が古いとか間違っているという話ではありません。
家や土地を守ることが大事にされてきた時代を、実際に生きてきた人の言葉には、重みがありました。
それに、その土地での出来事だけでなく、文化や街の歴史そのものを紐づけるものでもあるとも思います。
私は、同じようには思えなかった
でも正直、私は同じようには思えませんでした。
私にとって家は『そのとき暮らしやすい場所を選ぶもの』で、土地に縛られたいという気持ちが、殆ど無いです。
住みたい場所はその時の状況で変わるし、家を維持するにはお金も手間もかかります。
人が住まなくなった家や土地が、かえって重荷(いわゆる“負動産”)になる話も、最近はよく耳にします。
(我が家もその1つになりそうです😅)
だから「継いでいくのが当たり前」と言われると、ありがたさよりも「私は難しいかな~…」という戸惑いが出てきてしまいました。
この気持ちを素直に伝えた所、母親は一定の理解を示した様に見えますが、父は全く納得してませんでした。
今すぐの話ではないけど、いずれは確実に目の前の問題になってる事象だから、帰りの車内でもずっと考えていて、頭の痛い思いをしました。
兄弟それぞれの意見もあるから、自分一人の意見で決まる事は絶対ないけど、親子喧嘩の火種になりそうです😅
どちらが正しいではない…のかもしれない
色々考えて、今の私がたどり着いたのは、
『どちらが正しいという話ではないのかもしれない』ということでした。
親と私とでは、生きてきた時代も、前提にしている“ふつう”も違います。
家や土地が財産として頼りになった時代と、身軽さや選べることに価値を感じる時代。
その違いが、そのまま考え方の差になっているのかな…、と。
そう考えるだけで肩の力が抜けました。
もちろん、これは今すぐ答えを出さないといけない問題ではありません。
でも、いつかは向き合うことになる話でもあるからこそ、
『お互いの価値観が違う』ということを、今知っておけて良かったと思っています。
さいごに
今日はお盆の帰省で感じた、親と私の「家と土地」に対する考え方の違いについて書きました。
家や土地との向き合い方は、家庭それぞれ、人それぞれだと思います。
だから「●●と考えるべきです」と言うつもりはありません。
ただ、価値観がぶつかった時に、どちらかを正解に決めるという訳ではなく、相手の意見を受け止めた上で『なぜ相手はそう思うんだろう』と一度立ち止まってみる。
それが、私にとっては親との距離感を保つ上で大事なことのように感じました。
※近づき過ぎたら依存されるし、遠すぎると疎遠扱いされるから(笑)
自分の中にある程度の答えが有っても、確定した物ではありません。
でも、こうして書きながら考えたことは、いつか親と話すときの支えになる気がしています。
(兄弟の意見を聞いた上でも状況が変わる可能性はあるから)
今年は新盆で、世代交代を認識した夏だからこそ、出てきた話題でも有りました。
親が年を重ねていけば、いずれ当たる壁でもあるからこそ、『今の状況での考え』を書き留めつつ、兄弟や親とのやりとりを重ねて我が家の答えを出していこうと思います。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます