こんにちは、あきです。
2月に一つの大きな仕事が終わるとブログで書いてから、
4月までが本当に怒涛の様な忙しさで過ぎました。
それもやっと落ち着いたので、その時のことをブログに書いておこうと思います。
自分の思考整理が目的ですが、記録としてしっかり残しておきたいと思い書いてます。
目次
2月末
2月末に、祖母が亡くなりました。
体調不良はなく、2月に有った国政選挙にも投票してきたくらい元気でした。
2月は“あの仕事”の残骸整理で帰省できず、3月上旬に帰省する予定でした。
その際、祖母と大好きな“うどん”を食べに行こうという話をその前の帰省でしていた位元気だったのですが、母が施設から「食欲が落ち、少し体調が良くない」と連絡を受けた翌日には逝ってしまいました。
その際、たまたまテレビ電話が出来たので、画面越しですが祖母と話をしました。
声掛けに対して返事は聞けませんでしたが、最期に1度顔を見る事が出来て本当に良かったです。
また病院では無かったので、面会制限等もなくテレビ電話を繋げたし、延命治療を希望していなかったので救急搬送などの処置もなく“人間らしい幕の閉じ方”をできた様です。
(私は立ち会ってないので家族より聞きました)
祖母との思い出
私は自他ともに認める「ばあちゃん子」です。
(実家で同居していた父方祖父母より懐いてました)
祖母とは干支が一緒という事を知ってから、勝手に親近感が爆増してましたし、何より祖母のスタンスが大好きでした。
祖母は当初実家からだいぶ離れた所に住んでおり、すぐ会いに行けませんでした。
祖父の死後1人になったことで、実家近くに引っ越ししてからは、祖母の家には頻繁に泊まりに行っていました。
田舎あるある
一番幼少期で覚えているのが、親の仕事都合で“預けられる”という形でした。
田舎では両親共働きが大概なので子供は祖父母宅に預けられるのが常です。
父方祖父母は自営業なので、自ずと(母方の)祖父母宅に預けられる様になりました。
(預け先としてはだいぶ遠方でしたが💦)
当時は環境変化に慣れず、親が居ないと言って泣いていたそうで、夜中に迎えに行ったこともあったそうですが、数回で慣れたそうです(笑)
自分から「行きたい」と言う
小学生にもなると、自分から「泊まりに行きたい」と言う様になりました。
祖母の家で過ごす自由さや田舎ならではの遊びの楽しさを知ったのではじめは1泊2日(土日)でしたが、長期休みになると1~2週間とかいる様になり祖母の方が逆に心配する位でした。😅
でも、実家と祖母の家の環境の違いは本当に刺激的で、小学生の自分にとっては本当に色々な事を体験できて良い思い出です。
自分で勝手に行っていた
祖父の死後、祖母が実家近くに引っ越してきたこともあり、更に頻繁に行く様になりました。
昔は、親の仕事都合でしたが、既に“自分の意志”で泊まりに行ってました。
引っ越し後は外で遊ぶというより、「祖母の話を聞く」ことが多くなり、一緒に買い物に行ったり、料理をしたりして過ごしました。
学生~就職時代を戦争と共に過ごした祖母からの話は、学校の教科書よりリアルで、勉強になりました。
今でも、相手の話(特に生活の背景など)を聞くのが好きだと思うのは、
ココに起因していると思ってます。
大学進学後は、実家を出たこともあり遊びに行ける頻度も減りましたが、その分メールや電話でのやりとりが多くありました。(そのメール画面は今でも宝物✨)
祖母から影響受けたこと
自分が成長する中で、祖母との時間は進路や思考に結構影響しています。たくさんの影響を受けた中でも、特に印象的なのが3つあります。
・“否定しない”関わり方
・見守る事の大事さ
・人が老いていく時間(=経過)の中での様子
この3つは本当に大きくて、
祖母=カッコいい生き方の実例
と自分の中で位置付けるまでになりました。
①否定しない
自分が祖母に伝えた意見を否定されたことがありません。
「孫が言う事だから」と言う感じの軽く物を見る感じが無く、「受け入れる」という器の大きさを感じる姿勢でした。これは、幼少期に感じた時から一貫して最期まで変わりませんでした。
祖父母や親世代から「子供が言う事…」という様な価値観で頭ごなしに否定されることが本当に多く、自分の性格としてはそれを言われることを想定して意見していた位です。
(子供の頃から口が悪くて質が悪いのは変わってない🤣)
でも、祖母についてはそれが全く無く、新しいことでも「へ~、そうなの😀」と言って孫と一緒になって楽しんだり、話を聞いてくれました。
だから、祖母と話すのは本当に楽しかったし、亡くなるまで携帯電話を利用していました。90歳を過ぎてもメールでやり取りできる人は、多くないと思います🤭(好奇心旺盛とも言うのか?)
②見守る
また、遊びについても否定されませんでした。田舎だから必要以上に家や敷地が大きく、鬼ごっこやかくれんぼができたけど、それを窘めれた事はありませんでした。
ただ見守るだけで、口にするのは「怪我しない様に」という一言程度でした。その感覚で育ったので、別の場所で男友達と遊んでいた時、「●●らしくない」と言われて時は意味不明でした(笑)
当時の田舎は、「男らしい、女らしい」ということが遊びにも転用されていたので、祖母の様な人は居ませんでした。(今でもこの“●●らしさ”を押し付ける風習があるかは不明)
・ままごとをする男の子
・木登りや秘密基地作りをする女の子
これらは「(性別の逆の遊び)そんな遊びするもんじゃない」と周囲の大人から窘めらたものですが、その理由に合理的な理由はなく、「●●らしくない」というだけでした。😅
祖母のこのスタンスがどの様にして形成されたのか、今となっては分かりませんが考え方(関わり方)としてはとても先進的だったと思います。
見守ることの重要性や必要性は、この年になって実感しています。
③年を重ねる時間
年を重ねることに対して、ネガティブイメージを持つ事が殆どだと思います。
(昔の自分はコレでした)
しかし、祖母が年を重ねて周囲のサポートを要する様になった時を含めて関わってきて、少しイメージが変わりました。
若い頃や自分で動ける時は楽しこともたくさんあるけど、時間に追われることが多くなります。
でも、年を重ねて自分の動きがゆっくりになると、周りを見るゆとりや目の前の人との時間を大切にできると気付かされました。
また、助けてもらう事が増えるので、相手の行為に対しても寛容になれると思います。
(祖母は元々寛容な人ですが、その器が更に大きくなっている感じでした)
だから、祖母を見ていると「かっこいいな。自分もあんな風に年を重ねたい」と思う様になりました。
さいごに
今回は、亡くなった祖母のことと自分への影響力について書きました。
本当に大好きな祖母ですし、自分が目標とする様な生き方をした人だからこそ、ちゃんと記録に残しておきたいと思って書きました。
次も祖母についての話になるので、タイトルが①となってます。(②は5月中にはUP予定)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。