こんにちは、あきです。
お立ち寄りいただき、ありがとうございます。
今日は久しぶりに外出してきた時に考えていた事についてです。
帰省後は、最低限の食料品を買う以外で外出する事が殆どなく、近所の状況しか分かりませんでしたが、先日はちょっと所用で外出してきました。
街の状況が変わって見えたので、自分なりに色々考えてみました。
目次
人がいっぱい
「第8波が来ています」というニュースの後で、「春には第5類に引き下げを…」と何とも関連性低い事になっていると思いつつ、対策をして外出しました。
電車内は昼間という事も有り、人の量は思ったほども多くありませんでしたが、駅前は大勢の人がいました。お昼過ぎだったので、恐らく人の出歩くピーク時間に自分も動いてしまったのだと思いましたが、目的地は駅近だったので人混みを歩く時間が少なかった事は助かりました。
街の中は、マスクをしている人もいない人も混在していて、『パンデミック以前の感じ』に近い印象になっていました。自分はマスクをしていますが、これは第5類になってもそうでは無くても変わらないです。
防寒の1つ&感染対策
私の考えとしては、≪防寒具≫の1つでもあるマスク。
✅冷えた空気が鼻に入ると、純粋に“痛い”こと
✅マスク(不織布)があると暖かいし、乾燥しない
✅匂い対策(過度な香水とか柔軟剤が苦手)
この辺りもあり、冬場は通常でも使用していました。
今では、【外出時の必需品】的立ち位置までマスクが昇格してしまい、今後外せるような条件になったら、色々問題になりそうでちょっと不安です。
個人の自由選択
もし、第5類への引き下げが決定しても、マスクの着用可否は“パンデミック以前同様に個人の自由”位の大らかさが欲しいです。
以前聞いた話ですが、小さいお子さんはマスクを外す事に抵抗があるそうです。
理由としては、【恥ずかしい】とのこと。
自分の顔にマスクが付いている事が当然とする生活を一定期間した為、下着感覚なのかもしれないとの事でした。
この話を聞いて、
という事なのかもしれません。
こういった状況に対して、ご家族はまた【徐々にマスクを外しても良い事を再学習できる様な環境をつくる】事を考えるとなると大変だろうなと思ってしまいました。😅
これからの不安
この話を聞いた時に、ある意味日本特有とも言える“同調性”が悪さをしないと良いけどと不安にもなりました。日本は基本的に周りに合わせる事を良しとする傾向が強く、近年はそれを強要する事も目にする様になりました。(一時期の“マスク警察”と言われた物が典型だと思います)
特に感染症の分類が5類に引き下げられる予定が春ごろを検討しているとの事なので、新学期が始まる時期にそうなる事で、この事がいじめの引き金にならない事を願います。
あくまで、個人の選択自由であり、それに対して【強要】することはできないと考えて良いと思います。(特に国が5類引き下げを決定し、方針として打ち出した後なら尚更です)
職業上の使用や私のように防寒具的に使用する人が居るなら、『あ、そういう人も居るんだ』と受け止めるだけで良いと思います。それに対して、『自分も○○だから、それに従え』とか『周りが○○だから、それに合わせろ』というのは他者に対して過干渉だと思います。🤔
寛容さ
自分も含めてですが“(自分に)完璧を求める”と、相手にも同様の事を求めてしまう事は、在り得る話だと思います。これに同調性が加わると、他者に過干渉になるのかなと思いました。
また、経済的にゆとりが無かったり、努力の成果が評価され難い職場環境だったりと、自分にゆとりが無いと、相手に対してもゆとりが持てないのかもしれないとも思いました。
2つとも状況は違いますが、“相手に寛容さを持てない”状況は一緒だと思います。
相手に対して寛容さを持てるには、
この辺りが必要だろうと思いました。
私の場合はつい自分に対しての要求が高くなり易いので、その点を意識的に気にしておきたいと思います。
さいごに
今日は、久しぶりの外出で見た光景から、今後の事を考えるとちょっと不安になったり、自分の事を振り返りつつ考えていた事を書き出してみました。
今のままだと、国内としてはすぐに周囲に対して寛容さを示す事は難しいかもしれません。
でも、自分とその周りにいる人は守れる位の寛容さは出せると思うので、まずは自分の手の届く範囲から変えていこうと思います。
今日の一日が、
皆さんにとって幸せなものでありますように。
また次回こちらでお会いできるのを楽しみにしています。
ありがとうございました。