こんにちは、あきです。
新年が開けてだいぶ経ってしまいました。
今年の元旦は、学生時代以来の実家で迎える事ができました。
親族一同が集まり賑やかに過ごしたのもつかの間、仕事が始まり気づけば1週間を余裕で過ぎていました。
今日はその実家で過ごした正月の思い出を書いておこうと思います。
目次
元旦×実家
元旦を実家で過ごすのは、中学生以来だったと思います。
高校では、元旦からバイトしたり塾の授業に出ていたので、元旦に自宅に居た事はその当時からほぼありませんでした。
大学時代はずっとバイトしていたので、正月が終わり、1月の半ば位に帰省していました。
(正月はバイトの時給が上がるので、それを狙ってました😁)
だから、実家で元旦を過ごす時の過ごし方を正直忘れていました(笑)
帰省前から、何度か思い出そうとしても思い出せなくて、在り来たりな年越しそばとかおせちの準備位しか考えてませんでした。
改めて、学生時代~今まで自分の事にしか目を向けていなかった事に気づかされました。
正直、当時の事を後悔はしてませんが、思い出そうとして出てこない位に振り切っていた自分に少しびっくりはしました。(笑)
振り切っていたからこそ、学生時代の生活費が捻出出来たり、自分の目標としてた学校で勉強出来たし、その結果今の仕事が有る訳ですが、それにしても振り切り過ぎだろうと…😅
去年から働き方を変えて、自分の中での優先する事を意識した生活に変えた事もあり、今後はそこまでの極端な生活にはならずに済みそうですが、これが若さが故のパワーなのかもしれません。
学生時代の自分に声掛けが出来るとすれば、
「その生き方後悔はしないけど、自分の行動にドン引きする(笑)
それはそれで自分の人生だけど、周りの人にはあまり話さない方が良いかもしれない」
と言うと思います。
(決して、褒められる様な生き方では無いから)
中学時代の記憶
中学時代の元旦というか、正月は人の出入りが多かったです。
実家が“本家”という立ち位置だったからもしれませんが、親せきやご近所さんが「年始のあいさつ回り」という形でかわるがわる訪れます。
しかも、アポなし!😲
田舎だからかもしれませんが、アポなしでの訪問は全く普通で毎回びっくりしてました。
初詣に行きそびれた年もあって、あれは中学生ながら「電話してから、来るものではないの?」と親に聞いた位です。
当時の親は、「そんなことしない。毎年同じ位の時間に来るものだから」と気にしてない様子でした。でも、訪問の度にお茶を出して世間話に付き合う親を見て、正月早々から休めていない様子を見るのは子供ながらに疑問でしか在りませんでした。
(当時の正月は、ゆっくり過ごすものと思っていたので)
今年の実家
そんな事を思い出しつつ、元旦から準備をしていました。
結果としては訪問客もそこそこで、だいぶゆっくり過ごせました。
時間の経過とともに親族も高齢であいさつ回りが出来なくなったり、感染症による全国的な行動制限の3年間で電話連絡が多くなった事も有り、近所のあいさつ回りも無くなった様でした。
それにより、最低限の人の出入りで済んだようです。
私としても久しぶりにお会いする人ばかりで、楽しい時間が過ごせましたし、親せきの子は既に私の身長に届く勢いで大きくなってました。
(来年会えたら、その時には抜かれてるだろうな…😭)
子供にとってはお年玉を貰う機会が減った訳ですが、大人側としては必要以上の出費が減った事はとても有難い(笑)
まだ、キャッスレスなお年玉を貰っている子はいませんでしたが、数年しない内に当たり前になりそうです。
(親族の子はまだ小さいので、スマホ等が手元に無いから現金ですが、いずれはこれがキャッスレスになりそう😅)
両親の思考
年末年始一緒にいる時間が本当に長くて、よく目に入るし話も沢山しました。
その中で、自分の思考が親の影響を受けている事を感じたり、親の思考と違った時の自分のスタンスの取り方が昔と変わった事に気づきました。
今の仕事をしている事も、親の影響が大きくあります。でも、親は私が進路選択をする時に否定も肯定もしませんでした。だからこそ、自分の選んだ選択を後悔せずに今まで仕事をしています。
あの当時、親に口を出されて進路選択をしていたら、今の仕事をここまで好きになっていたかは分からないです。
自分で選んで進んでるからこそ、楽しめている所は大きいです。
また、親との思考の違いがある時に、訂正せずに受け止める事が出来るようになってました。
年齢を重ねる中での親の思考は、昔よりだいぶ拘りを見せる様になりました。
だから今の仕事(=パート)に対しては、表情が悪くなります。
(常勤こそ正義の世代なので)
でも、親の意見を聞いた上で、「食べていくにはそれでも何とかなってる」と言って終わらせてます。(笑)
世間体を気にする世代の親としては、それも気になる様ですが、取得している資格を使って仕事をしている手前、その点は心配な事を伝えるとそれ以降はあまり口を出してこなくなりました。
(現に、仕事をして半年近く経ちますが、誰からも何も言われてないので問題ないです)
親の意見は、“意見”として聞くけど、それに従うかどうかは“自分で判断する”というスタンスでいるので、親からの意見に対して感情的になる事も無くなりました。
この思考のお陰で親との会話のやりとりは本当にストレスが無くなりました。
いい意味でも悪い意味でも親は自分の先を歩いているから、良い手本にも悪い手本にもなります。
常勤で定年まで勤める(基本は入職からずっと同じ勤務先)事を美徳とする世代なので、イレギュラーな事しかしていない私の働き方は、とても不安なのかもしれません。
でも、私の生活方法で親に迷惑をかける事象が無い限り、これを変える必要はないです。
逆に親の仕事方法を手本に1社で仕事をしていたら、このブログも書いてないだろうし簿記やFPの勉強もしない人生だったと思います。
(改めて考えると、そっちの方が色々モッタイナイ)
それぞれの世代に有った考え方が有って良いし、そこで先を歩く人の生き方が良いと思う所があるなら真似すればいいし、違うと思ったらやらなければよい。
帰省中に親と話をしていて、こんなことを考えてました。
さいごに
今日は、年末年始を実家で過ごして、正月の動きが多少変わっていた事に時代の流れを感じたし、良い意味でも悪い意味でも感染症で閉鎖された3年の与えた影響の強さも感じました。
今の働き方を続けられる限り、毎年お正月は実家に顔出しが出来そうな気がするので、今後は地元の正月の雰囲気もちゃんと味わっておこうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。